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僕の本棚〜随時更新中〜

3週間の入院生活〜備忘録〜

平成24年4月10日(火)
 20:30分頃、前からヒビがあった箇所も起因して、自転車が左右に真っ二つになった。
体制を崩した僕は、そのまま道路のアスファルトに打ち付けられ、体の左半分を強打してしまった。

体の左半分を打ちつけた際、呼吸が思うようにできなかった。
事故後、、僕は近くの自宅の方が呼んでくれた救急車で、「A病院」
に連れて行かれた。
救急車を呼んでくれた方にはすごく感謝しています。
また、退院後挨拶に行きたいとは思うのですが、どの辺りで怪我をしたかの記憶が
曖昧でわからないです。
タオルも緑色の小さなハンディな分を借りたまま。

救急車の中では、呼吸も落ち着いてきており、心の中では、
「肋骨とか折れてないかな折れてないかな」
という気持ちが強かった。
病院での診察は、レントゲンを撮っただけだったが、
「肋骨にヒビがあるので、全治1ヶ月ですね。」
ということで、湿布と簡易なコルセットをもらった。
看護師の方からは、これぐらいやったら、コルセット巻いていれば、仕事は問題ない。
大げさ、大げさと言われたが、後で、それどころでは無くなってしまう事態に・・・・・

その際、警察からは、「自分で怪我をしたことを認める」という自認書というのを書かされたが、
当該自認書の撮影などはどういうわけか認められなかった。
また、真っ二つになった自転車も葺合警察署の方で預かっているということで、
12時までに渡しにくるということであった。

一通り、診察も済み、病院からは自宅までは徒歩で帰った。

家路に着き、妻が待っていた。
特に外傷もないので、安心しているようだ。
僕も左側が痛いのは確かにあるが、打った日は仕方がないなと思って、
ご飯を普段よりも少ないが食べて、その後、お風呂に入って、就寝をした。
ただ、その日はそんなに食べれなかった。
事故によるショックが大きいとは思う。


平成24年4月11日(水)
就寝から2時間後、おなかの痛みと急な吐き気によって、0時頃、目が覚めた。
お正月とかに以前吐いたときのような気持ち悪さがあったので、いつもの吐き気に加えて、
今回の事件が影響しているんだろうと考え、2時間程度、
妻に湯たんぽなどを用意してもらい暖めたりして、様子を見ていたが、一向に治らない。

2時間の間、吐きたいけれど、左、特に肋骨などの胸が痛いため、吐けずにいた。
トイレにいってもそうだった。
(吐く動作をしたが、吐くことはできなかった。)
同じ時間帯、行った病院に妻から電話をしてもらうも、
「今回の件とは違うでしょう」
ということで、言われた。

でも、とてもじゃないが、我慢できない。
いつもと明らかに違う痛み、気持ち悪さ、吐き気。。。

おなかが痛いことを解決するために夜間でも行っている病院に電話などをしてもらった。
たまたま、B病院が対応していたので、受け入れ可能かどうかを確認した。
しかし、タクシーがなかなか来れないということ。
これは我慢の限界だということで、妻に泣きながら救急車を呼んでもらい、B病院に搬送してもらった。
マンションを出るとき、雨が降っていることに気づいた。
救急車の中では吐き気と痛みで苦しんだ。

B病院に深夜到着。
山の上なのかとても、寒くおなかに響く。
毛布などをおなかにかぶせてもらうことにした。
B病院では簡単に現状を医師などに伝え、CTを撮ってもらった。
待っている間、僕はあまりにも痛くて、
「何でもいいので、痛み止めはないですか?
助けてください!」
と、時間がありそうな医師、看護師の方に頼み、叫んでしまっていた。

病院の先生たち(医者らしき人2人、看護師らしき人1名。)は、CTの画像を見ながら、
「これは手術の必要があるかもしれないが、外科的措置をできるものが現在いないので、C病院に転院だとして、
CTのデータなどをCD−Rなどに焼いておくようにと助手に指示をしていた。」
時間は、10分程度。
この10分が長く感じられた。

また、偶然聴いた話では、
「この人、どうなるか分からないから、これ以上の患者の受け入れは拒否しておいてください」
とも助手の人に伝えていた。
僕はそのとき、「ヒヤッ!」としたのを覚えてます。
そんなに症状は重いのか・・・・・

救急車が呼ばれ、僕は雨の中、転院した。
場所は神鋼病院。
あまりの気持ち悪さ、痛さに、救急車でゆれる度に、悶絶していた。
あの痛みは2度と味わいたくない。

ようやく救急車がC病院に到着する。

C病院では、少し大きめの部屋に通され、
先生がエコーなどを使用して、おなかの中の様子などを検査していった。
(息子の妊娠時に病院でみてもらっていた機械に似ている。)

それと同時に、先生は、看護師の方に命じて、僕の両親を病院に呼んでくるようにと伝えた。
ここまで大事になるなんて、いったい僕はどうなってしまったんだろう。
よく、テレビとかでみる光景に、覚悟を決める必要性まで感じた。
妻に関しては、ちょうどその日、子供も39度代の熱と咳が出ており、まずは子供を優先してもらった。
大変な時に申し訳なく思った。

ようやく、母が来てくれた。
母は、
「子供もいるし、頑張り!」
と言ってくれた。
しかし、その後のことは
「痛い!助けて!」
という言葉の連呼で話をすることはできなかったし、ひどく疲れきってしまっていた。

C病院でもCTスキャンをした。
少し違っていたのは、造影剤といって、血管などの様子がとてもよく分かる液体で、
血液に流して、撮影するというもの。
CTスキャンをする際も多少の振動でもとても、痛く、何回も吐きそう、すこし休ませて!
と連呼していた。
(吐くと、左脇がとても痛いので。)

ようやく、検査が終了し、大広間についたところで、注射か何かを打たれて、
眠ってしまった。

起きたのは、おそらく、朝の9時ごろ、おなかの痛みと気持ち悪さは続いていた。
引き続き、痛み止めを注射してもらっていたが、
たまらず、吐いてしまい、血圧を測るバンドのようなものを汚してしまった。
(今思えば、ICUみたいな場所だったと思う。)

その後、先生が現れて、説明。
腎臓に損傷があるということ。
今は出血はひどくないが、手術の必要もあるということ。
手術になったら、足の血管からカテーテルを入れて、心臓を経由し、腎臓の
出血箇所で血止めをするということであった。

12:00頃までその場所にいて、その後、ナースステーションのすぐ横のC病院7階に病室を取った。
その際、絶対安静。
僕は水曜日から月曜日まで、ベットから一歩たりとも外にでることはできなかった。

その日の夕食はなし。
点滴の管をつけて、点滴を一日中した。
(点滴は、この日から4月16日まで取れることは無かった。)

その日は、そのまま、神鋼病院の病室で眠った。
あまり動けなかったため、ぐっすりとは眠れなかった。
おしっこなどは、膀胱にカテーテルを入れられており、常時、排出されてるようになっていた。
しかし、ウンコに関しては、ベットの上から力を入れずに、排出しなければならないので、どうしようかととても、悩んだ。


4月14日(木)
C病院での2日目。
朝ごはんはなし。
朝、オムツの中に少し排便をしたが、それは取り替えてもらった。

一日は景色は見れるが、とても退屈な日々。
何もしない、してはないけないという生活は思いのほか、大変だった。

また、体などは、自分自身が全く動けないので、タオルなどで看護師の方に拭いてもらい、
カテーテルを通しているところもきれいにしてもらった。
また、頭も大きなたらいみたいなもので洗ってもらった。

ベッドに寝たままだけど、
介助があれば、普段の生活はできるみたいですね。

なお、この日の夜は、ふらつきなどが出始めたため、輸血をすることになった。
この日したのは、2袋。
1袋を2時間かけて、合計4時間深夜までとなった。
なんか、バリバリ仕事ができる看護師の方が担当してくれていた。

4月15日(金)
再度、造影剤を使用した検査をする予定。
先生は午後からということでしたが、急遽、午前中に変更。
造影剤を使用してCTをした結果、多少血が漏れている箇所があったということ。
また、今朝にとった血液も、まだまだ血がたりず、貧血だと言われた。

その後、事態は急転直下。

この状態はよろしくないと考えた先生たちは、手術の可能性もあることを
示唆し、神戸大学付属病院に転院したほうがよいと伝えてきた。
この日、神鋼病院のカテーテル手術の方が学会に参加していたため、残っている先生では、
判断ができないということであった。

その後、母などが来てくれて転院の準備。
短かったが、お世話になりましたという気分でした。

母も、「手術になるかもしれないかれど、こんなときもあるよ。」
と元気付けてくれました。

この時点では、転院の話など全く無かったため、妻は仕事中で知らなかった。
転院後、来てくれることとなった。
基本的な荷物、薬、CTのデータなどを母が持ち、僕ともう一人の若い医者の方は、
救急車で神戸大学付属病院に移動した。
すこし、高台にあるため、救急車を出るとひんやりととしていた。

この時点で、最初に運ばれた病院から4件目となった。

手術台などが並ぶところに連れて来られ、
神大の先生たちが、現在の資料を見ながら、どのように対処すべきかどうかを検討していた。
手術があるかもしれないので、水を飲むこともできず、数十分待った上で、手術はなく、経過を見ていくということで落ち着いた。

少し、ほっとしたような気がした。

ただ、この日から病室はICUとなり、集中治療が必要となった。
もちろん、気軽に出歩くこともできない。

3階にあるICUに入るためには、3個ほどのゲートを通っていかなければならない。
とても、警備などで厳重なところだった。
ただ、その分、設備は最高で、ベッドなどもだいぶ高級感があった。

ICUで医師の古川先生という方から説明を受けた。
数日、経過を見守ります。
週明けの検査によって、手術にするか、それともこのまま経過措置でいくのかを決定したいと思います。ということ。
ただ、何かあったときには、その際対応するようにします。

また、手術の方法として、
カテーテルを足の太い血管から入れて、心臓を経由して、腎臓の該当箇所まで持っていくということ。
心臓を通るという点はとても怖いなと思った。

また、看護師の方は、男性の方。
後で分かるんですが、ICUの看護師の方は男性の方がとても多かったです。
1人目は、とても、大柄な方で野球部のキャッチャーをしてそうな方。
最初、輸血用のはりを大きな手で入れようとしていたので、とっても不安だったんですが、
実はこの方、針を入れるのがとても得意ということ。

この日は、ICUの部屋で、2袋ほど、輸血をしてもらうことにしました。
それにしても、輸血をする機械自体も、量の調整をすることができ、とても最新式でした。

その日は、何も無い日々にも耐えられなくなってきたので、
テレビカードを購入して、テレビを見ました。
テレビを見ながら、排便を試みましたが、だめでした。
(再度の出血を防ぐため、ベットに寝ながらしかも力を入れずにしなければなりませんでした。)
環境も異なるというのもそうですが、力を入れて、腎臓から出血するのではという不安から、そして、ベットで寝ながらという状況から、小さいのが1つほど出たぐらいでした。

その日は、残排便感?を感じながら、眠りにくい夜は眠りました。


4月14日(土)
本日は朝からもちろん絶対安静だけど、
ご飯を食べるときは、60度ぐらいまで傾けてもいいよということになった。

また、排便のため本日は朝から2階ほどしたがやっぱりなかなか出てこなかった。
しかしここで、普段の生活を思い出した。
普段の生活だとなぜ排便がしやすいのか?
それは、仕事の緊張感から、出やすくなっていたのだ。

そこで、お昼以降は、すこし排便したくなったときに、
すかさず排便用の容器をベットに差し入れてもらって、その瞬間に手帳にメモをするなどして仕事の状況を作った。
同時に結構大量に排便ができたので、この方法はとてもよかったと思う。

この日は食事も気持ちよく食べれたのを覚えています。

それから、この日は、妹と父がお見舞いに来てくれた。
とても嬉しかった!
また同時に、税理士の松坂さんも来て頂きました。
時間が無い中、割いて来ていただき、本当に感謝です。

なお、この日夜の看護士の方は、僕が飲む水の量をチェックしたり、
脈拍数などに応じて解熱剤などを処方してくれるなどして、とてもきめ細かく
対応してくれた。
感謝です。

最後に、この日の夜は、搬送台に人が乗せられており、回りを私服の親族らしき人たちが
歩いているのを、偶然見ました。
ICUはその名前の通り、集中治療を要する人たちが入ってきます。
今日、明日の生死が分からない、そういう場所なのです。


4月15日(日)
本日は日曜日。
朝からテレビばかりを見ていてとても暇。
朝は、妻と母が来てくれた。

どちらもどっさりと果物を持ってきてくれていたが、
食べてもいいか否かの許可を先生よりもらっていなかったため、
そのまま持ち帰ってもらった。

それから、今日はICUに来て初めて洗髪をした。
結構大掛かりな機械を入れてしていたが、最終的には、水が足りなくなり、
原始的な方法で、洗い流してくれた。

普段、ICUの人が髪を洗うときは、1週間に1回らしい。
それ以上は、時間があるときに限ってオッケイらしい。

それから、今日は桜がとっても、綺麗みたいだ。
ベットから全く動けないので、その様子はうかがい知る事はできない。

4月16日(月)
今日は、11:30分より造影剤などを血管より注入してもらい、
CTを行った。
検査の結果、さらなる出血は見られず、動き回ってもよいということ。

お昼ごろ、熱は39度代あったが、歩いてみた。
まずはベッドから90度に当然ながら起き上らないといけないんですが、これがなかなかできません。
ようやくできたかと思えば、頭がめちゃくちゃ重たく、すぐに壁などに頭をつけてしまいました。
1週間ぶりに起き上がりましたが、めちゃくちゃしんどかったです。

看護師さんのヘルプがあって、ようやく動けるぐらいだった。
前みたいにスカスカ歩くのはまだまだ先だな〜っと感じた。

また、先生いわく、
肺自体小さくなっていたが、これは、徐々に戻っていくと思う。

実際に僕自身、ほぼ、一週間ベットの上だったので、歩くのはとても苦しかったが、
歩いた方が息もしやすいし、前向きになれる気がした。

また、同日、膀胱にあったカテーテルをはずす作業をした。
1回目のおしっこは失敗したが、数回重ねるごとに元に戻っていった。


4月17日(火)
本日は熱も無く、すっきりと目覚めることができた。
ご飯も完食。
けど、今までのように、勢いよく排便を行うと多少フラフラ・・・
としてしまう。
まだ、まだ本調子からはほど遠いけど、確実に一歩前進していると思う。

ただ、本日もお昼以降、39度台クラスの熱が出て、しんどかった。

それから、今日嬉しかったのは、高田先生が挨拶に来ていただいたということだ。
忙しいところ、本当に感謝しております。
そして、田中先生、松下先生、ありがとうございました。

また、今日は初めて自分でシャワーを浴びて、体を洗った。
お尻とかまだまだきちんと洗えないところはあるけれど、確実に一歩前進だ。
(体の中に血がたまっており、柔軟性が落ちているため。)
人に洗ってもらうより、自分で洗う方がすっきりするわ。

そして、明日は、肺の様子などを調べるため(先生曰く、肺に水がたまっているといわれた。)
また、さらなる血液が抜けていっているかどうかを確認するために翌日、採血をするということであった。


4月18日(水)
昨晩、熱が38度台まで上がったが、朝は、問題なく起きれた。
自分の荷物などを自分で片付けていった。
また、自分で正座もできるので、その点もすごく嬉しい。
単なる正座ではあるんですが。

そして、本日は朝から大量のウンコが出たので、朝最先、いいね。
体調もだいぶ回復してきた。

ただ、レントゲン検査で、エレベータで1Fまでいったが、結構しんどかった。
特に密室で待っているのは、すごく疲れる印象を受けた。

それにしても、この病院のファミリーマートはとても格好いいな。

なお、本日から熱が毎日定期的に38度〜39度とでるので、ウィルスなどをやっつける抗生物質を打つこととなった。
朝・晩それぞれ、1回ずつ。
4月19日(木)
朝から快便。
熱に関して、
ご飯も全て食べることはできたが、少々飽きてしまった。
先生の回診があったが、熱に関して、気にしているところあり。

週末まで様子をみて、週明け退院という話だったが、僕は週末に何とかできませんか?
と伝えた。

本日は、廣野さんが来てくれた。
いつも気にかけてくれて、感謝です。
モロゾフのゼリーを頂きました。

そして、母も来てくれた。
大量の果物を持ってきてくれたが果たしてどのように食べようかとこまってしまう。

家に帰れれば、子供が食べれるんだが。


4月20日(金)
朝から、2回に分けて排便。
ご飯は朝食をパンに変えてもらった。
ご飯に少々飽きてしまったから。
やっぱり、家のご飯が一番おいしいですね。
トーストしたパンだと結構たべることができた。

また、11階から1階から歩いて行ったが、体調は良かった。

その後、明らかに素人っぽい看護師の人が来て、どぎまぎさせられた。
医療行為だととても不安。
今は、体調もよくなって、そういうこともないんですが。

今日は体力を少しでも早く回復させるために、
11階の病室から一階まで階段で降りていった。
降りる分はいいが、上がる際は、エレベーターにしておいた。
ただ、エレベータのような狭い空間ではとても、しんどいわ。
4月21日(土)
今日は6:00頃、起床。
家と変わらないように動いた。
昨日は、夜、37.6度までは行きましたが、その後は下がりました。
退院も近いと思います。

朝、いつもの食パンが丸パンに変わっており、少し焦がしながらも全部完食しました。
11:00頃から13:00頃にかけて、母と妹が着てくれました。
1階にあるドトールで、ホウジ茶黒糖ラテを頼みました。
おいしかったですが、黒糖を入れると、何でもかんでも同じ味に思えてしまうのは、僕だけでしょうか?

母も帰り、本日は、1階のファミリーマートで、
「経営者100の言葉」
を購入。
今しか、読めないので、たっぷり味わおうと思います。

本日は、昨日と同じように、37.6度ぐらいまで出ましたが、
出ている期間は短かったように思います。

けど、歩いたり、咳をしたりすると、やっぱりまだまだ体の左半分が痛んでしまいますね。

4月22日(日)雨・風強し
病院で向かえる2度目の日曜日。
今日は朝から、雨と風が強く、妻と子供が来ると言っていたけれど
本当に来れるかどうか、不安でした。
けど、11:00頃に来てくれました。

子供は少し大きくなっていたような気がして、とってもうれしかったです。
たった、10日間会わないだけで、まるで別人になったかのように思いました。

早速病院の1階にあるドトールに行き、妻と子供に昼食をとってもらいました。
コーヒーもおいしく、とっても満足そうで、よかったです。

その後、11階に戻り、僕の食事をしました。
ちょうど母も来てくれており、おいしそうなイチゴを持ってきてくれていました。
息子は、病院の食堂でおいしそうにイチゴを食べつつ、

母に買ってもらった小さなこいのぼりについていたガムを食べていました。
けれども、ガムは食べれるのですが、飲み込んではだめよというと、つぼも飲み込まないので、最後は口にためていたつばとガムを吐き出します。
ガムをきちんと食べれるようになるのはまだまだ、息子にとっては難しいようです。

今日は、一番高い熱でも37.3度とだいぶ調子が良くなってきました。
また、柔軟体操もだいぶできるようになってきたような気もします。
ただ、咳などをするとわき腹などが痛いので、まだまだ、本調子ではないです。

早く熱が出ないようになることを祈るばかりです。

4月23日(月)晴れ
朝、採血がありました。
すっごいおっちょこちょいの看護師の方です。

いつも焦ってするので、大概うまくいきません。
今日も採血の針を2度ほどさされてうまくいかず、いつものように
「先輩を呼んできます」
と去っていきました。

そしたら、最初から先輩にしてもらいたいものです。
針を打つところだけは、何度も研修、練習をしてもらわないととっても、個人差が大きいです。

その日は、点滴を入れる用の針も抜け、お風呂は防水シートを貼ってもらわなくても、入れるようになった。

4月24日(火)晴れ
今日は朝から、とってもいい天気。
そして、今日はお昼から外出が許可されたので、早速事務所に行くことができました。
事務所について、最初にしたのはメールの整理。
何千通も着ていたので、処理だけで何時間と要してしまいました。

また、この日は暑かったこともあり、頭痛はするし、
わき腹も痛かったです。
歩くのも遅くて多くの人に抜かれいってしまいました。

けれども、仕事の一部ができるようになって、体調回復の兆しがみえてきました。

知らず知らずの間にだいぶ体力が減っていたようです。

4月25日(水)晴れ
本日は、朝、採血を行いました。
また、CTなどを撮り、良ければ明日、明後日には退院できそうだということ。
ようやく子供にも自由に会えそうです。

けど、午前中の段階で咳をするとまだまだ、脇腹の奥のほうが痛いです。

今日は事務所までの道のりも軽快に行くことができ、調子もよかった。
また、昨日のように、帰り道で座り込むぐらい痛くなるということも無く、
調子もおおむねよかった。

そして、この日は、退院は金曜日の午前中になるでしょう。
と伝えられた。

4月26日(木)雨
今日は昨日の寝つきが悪く、本格的に動き出せたのは、7時ごろだった。
横になってもある程度寝れるようになったが、ただ一回くしゃみをした時に、
脇腹の上のほうがとても痛かった。
また、くしゃみなんて久々だなと感じた。

今日は事務所に行って、会社のホームページなどを修正していった。
まだまだ、本調子とは言えませんが、キーボード操作は慣れてきました。

この日の夜、風が強く、風の音でなかなか寝付けませんでした。
病院のふいんきが初めて怖いなと感じた夜でした。

何度か起きましたが、朝までゆっくりと寝ることはできました。

今回の入院で多くの人に対して迷惑をかけてしまったことと、
時間を無駄にしてしまいました。
今回のことを教訓に、乗り物の整備などは自分で一通りできるようにしておきたいと思いました。

4月27日(金)晴れ
今日は快晴。
入院時とは打って変わって、晴れやかなスタートです。
けど、退院時の費用は概算ではありますが、約28万円〜30万円と高かったですが、
高額医療費などは払いすぎた分は返ってくるため、そこまでの損害はないと思いました。
けど、返還までに3ヶ月かかるようです。

結構長かった入院生活。
しかし、完治までには、これから半年程度はかかるようなので、今後も頑張って行こうと思う。

最後に、退院後初めて見た壊れてしまった自転車の写真を掲載しておきます↓















皆さん、くれぐれも自転車の整備はきちんとしておきましょう!


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